2008-10-31

もはやニュースにもならなくなった死刑執行 (1)

2008年10月28日(火)、仙台と福岡で二人の死刑囚に死刑が執行された。

死刑確定者 103人→101人

  • 高塩正裕死刑囚(55)=仙台拘置支所=
    • ※確定から1年10カ月
  • 久間三千年死刑囚(70)=福岡拘置所=
    • ※確定から2年

執行は9月に麻生内閣で法務大臣に就任した森英介法相の下で初めて。今年に入って死刑が執行されたのは15人。

これに先だつ死刑執行は福田政権下末期、2008年9月11日(木)保岡興治法相のもとで三人。

死刑確定者 105人→102人

  • 万谷義幸死刑囚(68)=大阪拘置所=
  • 山本峰照死刑囚(68)=同=
  • 平野勇死刑囚(61)=東京拘置所
    • ※平野死刑囚は死刑判決の確定から1年11カ月での執行。


事実関係だけを書けば、この二ヶ月で二人の首相、二人の法務大臣にまたがって、五人が吊され、一人の確定者が増えたので、吊り下げ予備軍は105-3+1-2で101人になったということだ。


以前にも書いたが、刑法に死刑制度を置くのは立法権(国会)の領域、法に基づいて実際に死刑判決を下すことは司法権の領域、そして死刑を執行することは行政権の領域である(ついでに書けば被告人に死刑を求刑する検察官も行政の領域である)。行政権の長は内閣総理大臣であり、死刑に関しては法務大臣が総理大臣に次ぐ責任者である。
したがって「ベルトコンベアー」発言は、行政権の責任を放棄し、「デスノート」を、学生時代に国家公務員試験を受けただけで、結果責任を全く負わず、あまたの免責特権すら持っている匿名の法務官僚に委ねてしまうことを意味する。そのことは、行政府の責任や、官僚の権限過剰の問題など、行政システム論的にも破綻している。しかも「デスノート」から誰がどういう基準でどのように誰をいつ死刑にするのか、死刑囚が直前どういう心境でどういう態度をとったのかが全く公開されていない。これではメディアを含めて国民による行政の監視が全く行えない。法務官僚が神のように全知全能で、組織的利害や力学にまったく影響されず、公正で、無謬でなければ成り立たないシステムである。

死刑囚と毎日つきあいのある刑務官が(人間だから情が移ることもあるだろう)、ある日、その相手を吊したり、絞首台から落ちてきた死刑囚が絶命するまで抱きかかえたりすることを業務命令される。食事がのどを通らなくなり、悪夢にうなされる。人の命を奪うということは、例えそれが残虐非道な鬼畜であったとしてもそういうことなのだ。

来年から始まる裁判員制度。自分が参加した裁判の被告人が何年か後に死刑執行されるニュースをみて、なにを感じるだろう?

そしてそれが万一もしえん罪だったとしたら…。以前みたクローズアップ現代で自分をレイプした相手の首実検で証言した結果、有罪が確定したが、何年も後に真犯人が出てきて、えん罪だったというケースがあり、レイプの被害者が苦悩するシーンが描かれた。レイプ被害で苦しみ、さらに、犯人断定の判断を誤ったため、無実の人間を有罪にしてしまったことで再び苦悩しているのだ。


合法的に人を殺すことが出来るのは戦争と死刑と、そして急迫不正の侵害に対する正当防衛ということになる。日本は憲法で戦争放棄をしているので、現実的に国家が無抵抗の人間を殺すことができるのは死刑執行においてのみということになる。
行政権にとってそれだけ大きな決断だからこそ、法務大臣の署名という手続き法が存在しているのである。
にもかかわらず、死刑執行のニュースは目に見えて報道されなくなってきている。
例えば、2008年10月28日の二件の死刑執行に関して録画データを調べてみた。
鳩山法相が死刑の執行を公表するようになってから(それまでは執行の事実すら公表されていなかった)、だいたいの流れは、
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  • 早朝死刑囚に死刑執行が通告される
  • 1時間後に死刑が執行される
  • 11時頃、法務省記者クラブで法務大臣が死刑執行を報告する(決まり文句"十分検討し、粛々と")
  • お昼直前とお昼にまたがるストレートニュースがある局は、死刑執行があった事実だけをアナウンサーが短く読み上げる。コメンテーターや司会者のコメントはない
  • 夕方の各局ニュース。局により、その日のニュース構成により報道する場合としない場合がある。キャスターがコメントするケースは皆無。
  • 夜の各局ニュース。ほとんどの局が報じない。報じるケースでも番組後半のフラッシュニュースでほかのニュースと一緒に読み上げられ、キャスターのコメントは無い

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2008年10月28日の二件の死刑執行のテレビ報道の場合、地上波で報道したのは
  1. JNN系 「ピンポン!」 番組ログ
  2. FNN系 「スピーク」 番組ログ
  3. NNN系「Newsリアルタイム」 番組ログ
  4. ANN系 「ワイド!スクランブル」 番組ログ
    • ※「ピンポン !」では速報で字幕テロップを出し、その後ストレートニュースで短く報道。その他ではアナウンサーが短いニュース原稿を読み、法務大臣の会見映像。最近では一般化した様式で、MCもコメンテーターもコメント・解説一切なし。
    • ※報道機関がこの種のニュースから完全に逃げ腰であることの証左とも言える。
    • ※テレビ東京系の「FINE!」では放送終了間際のニュースフラッシュでテロップの最下段に死刑執行の記述があったが、「時間がおしていたため?」か、結局アナウンサーがそれを読み上げることはなかった。



以下の報道番組・報道系情報番組では一切報道されなかった。
  1. NHK 「夕方6時のニュース」
  2. NHK 「ニュース7」
  3. NHK 「ニューウォッチ9」
  4. NNN系「ニュース ZERO」
  5. JNN系 「イブニング・ファイブ」
  6. JNN系 「NEWS23」
  7. FNN系「スーパーニュース」
  8. FNN系「LIVE2008ニュースJAPAN」
  9. ANN系「スーパーJチャンネル」
  10. ANN系「報道ステーション」
  11. テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」


翌朝のきっとネタに毎日困ってそうな長時間報道系情報番組でも一切報道されなかった。とりわけNHKが一切報道しなかったことには強い違和感を覚えた。

それじゃあ、そもそも賛成反対+αの議論も出来ないじゃないか。

確かにこの日は高橋尚子選手の引退記者会見という「大きなニュース」があった。しかし、「食い倒れ太郎が道頓堀に復活」とか「読売新聞記者が痴漢で逮捕」などといったニュースも流れ、なにも高橋尚子ニュースですべての枠が埋まっていたようには見えなかった。ニュースバリューとして「死刑執行」は「食い倒れ太郎」よりも低いとテレビ局のニュースの仕分けをする人は判断したわけである。
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死刑執行のニュースはだいたい賞味期限2~3時間ということで、右も左もなく各局、申し合わせたかのように横並び状態となっている。

殺人事件、特に子供が被害者になる殺人事件や、通り魔殺人は、統計的には全く増えていないのに、報道機会も時間も増える一方で、死刑執行は確実に増えているのに、その報道はどんどん減っていき、まるでこの世に存在しないかのように扱われ始めている。付言すれば、統計では、死刑や無期刑が規定されている殺人事件、そのなかでも特に「凶悪」とよばれているものの件数も減り続けているが、死刑判決も無期刑判決も増えている。立法府である国会で死刑や無期刑の適用基準を下げようという議決は行われていない。

選挙を経て選ばれていない、国民の代表ではない検察官や裁判官たちが「空気」や「あうんの呼吸」で死刑や無期の求刑や判決を増やしているか、国民には公開されない(国会では討議されない)メカニズムで「政治的判断」が行われているとしかいいようがない。

「国民の支持を得ている」というのならば情報公開し、きっちり国会で法改正すべきだ。

政治家のほとんどが死刑議論から逃げるのは、それが直接票に結びつくからだ。個人的には死刑制度に懐疑的な議員でもそれを口にすれば、確実にあるパーセンテージの票を失うことになる。落選のリスクまで冒して死刑を語ろうという議員は少ないのだ。

しかし、メディアが死刑議論を大きく取り上げれば、黙っているわけにもいかないはずだ。しかし、メディア自身が右も左も腰が引けているのだ。

メディアがいやがるのは「意見の分かれそうな話題」。

「累犯障害者」の著者山本譲司氏が、「大きな事件が起きたとき、犯人が知的障害者や精神障害だとわかったとたん報道がぴたっとなくなってしまう」と書いていた。しかしそれらは確実に現存する問題で、もっともっと掘り下げて議論されるべき社会問題のひとつなのだ。にもかかわらず、臭いものにふたをしてしまうため、障害者問題はパラリンピックやスペシャルオリンピックを応援すれば解決してしまうと誤解されてしまう。

知的障害のある女性が売春組織に売られたり、男の場合はヤクザの鉄砲玉にされたり、警察官が勝手に犯罪者に仕立て上げたり、刑務所の中が福祉行政からこぼれた障害者で溢れていたり、世間を騒がせた大事件の時だけ「統合失調症」が「人格障害」に書き換えられたりすること、そもそも窃盗や無銭飲食など軽犯罪では精神鑑定なんて手間のかかることすら行われないから、刑務所の中にはだれからみても精神障害者が溢れていること、39条が特に右の人たちから批判されるが、そもそもほとんど機能していないこと、そういうことからメディアは逃げ続ける(あるいは知りもしない)。

報道型情報バラエティ番組というのが隆盛を極める中で、カメラマンや音声さんやその他エンジニア系の人はプロフェッショナルなのだが、肝心の制作者が巨大な素人集団で報道のいろはのいも知らない状態でニュース番組を作り、ろくな取材もしないままVTRをつくって、タレントMCやコメンテーターに好き勝手言わせて、制作者としての責任を回避している。

我々の多くが一次情報で得られることは、ご近所の話や、会社内部、業界内の話、友人間の話ばかりで、社会で何が起きているかということのほとんどをマスメディアに依存している。ネット情報も出所のほとんどはマスメディアだ。ところが、マスメディアがそれを大きく歪めて報じれば、民主主義は誤った判断をする可能性が高い。その責任をマスメディアの人間のひとりひとりが本当に自覚しているのだろうか?

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死刑の話題に国民の関心があるかいなかは、ネットやラジオなどで死刑が話題になったときの盛り上がり方をみれば明らかだ。それが一部の特殊の人たちだけの問題ではないことは、光市母子殺害事件に対する関心の高さや、裁判員制度のことを考れば、敢えて長い論を待たないだろう。右の人にも左の人にも、どちらでもない人にも死刑制度はとても関心のある話題なのだ。死刑容認論者、死刑強化論者、死刑廃止論者、死刑限定論者、いろんな人がいろんなことを言いたいはずだし、知りたいはずなのだ。少なくとも自分が法治国家の一員と認識している限り。

<続く>



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