2008-09-30

■【会館は税金払え!】アルツハイマーでもわかる公明党の選挙違反

学会員の人、個人的にはいい人多いと思いますが、組織としてやっぱまずいよね。政治権力の個人利用といい、世襲による権力継承といい。各界に目くそ鼻くそが散らばってますが(例:みのもんた長男 TBS営業部勤務、次男日本テレビ営業部勤務)。まあ、こういう人たちの共通点は冷酷で下品で、無意味に威張りんぼうだと言うことですかね。それから裸の王様状態だからとんでもない差別発言しても自覚もない。
さて民主党と国民新党は今国会で矢野氏の証人質問を実現できるか?







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2008-09-27

■お笑い麻生太郎世襲既得権内閣

『自由で公正な競争』が聞いて呆れる

農家や商店街には後継者がいないのに、政治家はよっぽどおいしい家業らしい。
山本一太のように「職業選択の自由」をいうのは「職業選択の機会均等」を実現してからにしてほしい。
本当に国を憂うなら息子を人手不足の農家や自衛隊にいれたらどうか?

この人たちは「みんなでお手々つないでゴール」するらしい

※一部写真の入手できないものがありましたので適当なもので差し替えさせていただきました(tv局のように片っ端から容疑者の昔の写真を掻き集めさせる高給新人社員もいませんので)。他意はありません(笑)。

小泉進次郎が後継者に



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2008-09-20

■松岡正剛も呆れた吉崎達彦著『1985』

060602yoshizaki02 1985年 (新潮新書)

日頃、書評でネガティブなことはあまり書かない松岡さんだが、今回ばかりは呆れてしまったようだ。


以下「■松岡正剛の千夜千冊」 より抜粋

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まあ、何とでも言えるようには思うのだが、たしかに1985年あたりに何かの一線があったような気もする。幻想と誤解と自惚れと無知とが一緒くたに渦巻いていたこと、ぼくもよく憶えている。サブプライムローン・ショックに続くリーマン・ブラザーズ・ショックに揺れ動く夜は、こういう本を案内するのもいいだろう。

戦後の35年間、日本のGNPは80倍になり、一人当たりの国民所得は50倍になった。輸出は140倍、輸入は90倍である。いくら昨今の中国がめざましいといっても、ここまで急激ではなかった。
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中曽根首相はもっとあけすけに「国民一人当たり100ドルの外国製品を買いましょう」という記者発表をした。日本の首相はアメリカの頼みなら何でもイエスなのである。10月には「国際協調のための経済構造調整研究会」が首相の諮問機関としてつくられ、翌年にはこれが悪名高い「前川レポート」になった。
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アメリカはどうしたかといえば、「双子の赤字」(財政赤字と貿易赤字)に悩まされながらもレーガンが再選されて、レーガノミクスに取り組み、「小さな政府」と「強いアメリカ」を打ち出した。いよいよもって新自由主義と市場原理主義が唸りを挙げて作動しはじめたのだ。
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日本の大蔵大臣は竹下登である。竹下はホテル・プラザでは自身から発言をして、いそいそ円高に賛成してみせた。為替レートの急変はふつうならアメリカへの資本流入にも影響を与えるはずだったのだが、そこを日本の資金がナンピン買い(価格が下がるごとの買い増し)をして、アメリカ国債を買いつづけてあげたのだ。ベーカー財務長官からすれば、竹下クンよくやった、なのである。
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それでどうなったかといえば、日本はバブル経済の誘蛾灯に誘われるように突入していき、そして、どどっとこけたのだ。
 これをふつうは、円高対策のための低金利が過剰なマネーサプライを生み、それが土地と株式市場に向かったためにバブルになったと説明するのだが、さあ、どうか。銀行やキャピタリストがあれこれ勝手な誘導をしたとしか思えない。おかげで森ビルがアークヒルズを打ち建てたのは翌年すぐのことだった。このころのニッポンは、どこでも「地上げ」ばかりの日々だったのである。
 住友銀行によるゴールドマン・サックスへの出資、日本長期信用銀行によるグリニッジ・キャピタルの買収、日本生命によるリーマン・ブラザーズとの業務提携なども、この時期で、これですっかり新自由主義が金融界にはびこった。それが小泉・竹中まで続くことになったのだ。
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なお本書の著者は1960年生まれで、日商岩井に入ったのちにアメリカのブルッキングス研究所に勤め、その後は経済同友会の調査役をへて、いまは双日総合研究所をつくっている。今後、どんなエコノミストぶりを発揮するのかはわからないが、本書の末尾を「1985年は、日本人にとってかなりいい時代だったように思える」と結んだのは、ぼくとはまったく逆の感想で、ほとんど理解しかねるものだった。
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それにしても吉崎達彦って本当に物事の上っ面だけでいろいろ語っちゃうヒトだな。
一言でいって浅すぎる。
イラク戦争開戦の時は、自衛隊もおくれないような日本は今後国際貢献なんてしないほうがいい」とか、犯罪白書の暗数や数字の取り方も調べないで統計鵜呑みで長々語ってみたり…。

今回トンデモ本の領域に踏み込み、見事「アングロサクソンと組んでさえいれば日本は子々孫々まで安泰説」の岡崎久彦大先生の後継者に決まったようだ。



2008-09-18

■「光と影」関東ローカルオンエア決定!!!

光と影 光市

ついにというか、やっとというか、「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」の関東でのオンエア情報がフジテレビのサイトにアップされた。

  • 10月25日(土)27:05~28:00 - フジテレビ

例によってしょっぱい時間帯だが留守録に失敗しないようにしなくては。

ナレーションに「4つの嘘」でもいい味出してる女優寺島しのぶを起用した東海テレビ制作のこの番組が6月7日(土) 14:00~14:55に同局でオンエアされて以来、ずいぶん長い道のりだった。

実はネットでも動画は一瞬出回ったのだが、すぐに削除された。著作権と情報の公共性との問題はもっとメディアでこそ議論されるべきだ問題だと思う。どっちかが100%正しいというたぐいの議論ではないと思う。しかし、著作権法原理主義では社会にとって本当に有益なことは何かが語られずにやり過ごされてしまう。

「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」は日本民間放送連盟賞中部・北陸地区審査会の報道部門、最も優れた番組に選ばれ、FNSドキュメンタリー大賞にもノミネートされている。その割には編成では継子の扱いを受けている。

それでも地方局では、五月雨式にオンエアされてきた。ざっとググってみても、

  • 関西テレビ 8/3(火) 26:10~
  • 岩手めんこいテレビテレビ 9/4日(木) 25:15~
  • 鹿児島テレビ9/8(月) 26:10~
  • 山形さくらんぼ 9/9(火)25:30~
  • 新潟総合テレビ 9月9日(火)25:58~
  • 山陰中央テレビ 9/14(日)25:20~

など、など…。

在京キー局でオンエアがここまで遅れた理由は?と少し穿った見方もしたくなる。

むろん放送するのだから、「偉い!」と褒めるべきなのは間違いない。

こういう世論やこれまでのメディアの視点や、報道姿勢とは違った視点からの番組作りをすることによって、視聴者に「別の視点」を提供し、物事を複眼的にみる援助をすることは、メディアのもっとも重要な仕事の一つだと思う。

東海テレビは「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」と同時に、名張葡萄酒事件をあつかった「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~ 」で日本民間放送連盟賞中部・北陸地区審査会の教養部門でも、最も優れた番組に選ばれた。

こうしたことで、スタッフたちが「左翼」のレッテル張りをされたり、検察や裁判所、さらには右翼の名にももとるエセ右翼・チキンホークから目をつけられて仕事がしにくくなるようなことがないことを心から祈る(本来の右翼とか保守というのは、感情に支配されてきゃんきゃん騒ぐ小物連中を、「まあ落ち着け、うろたえるな!」と諫め、「もう少し話をさせてみようじゃないか」という懐深い態度を示すものだ)。

少数意見や少数視点が日の目を浴びてこそ、社会は懐の深さを持ち、より間違いを犯しにくくなる。企業も同じ。そうした情報システムがなければ、氾濫した欠陥情報のうねりのなかで、「識者」と呼ばれる門外漢まで、自らの発言の影響力を考えず、良心的で、無責任な言動を繰り返し、動員に一役買う。得するのは誰か?

どのような事件であれ、一方の視点からのみ、しかも感情に訴える形での情報のみが流されることの危険性は、戦争報道をみれば明らかだ。「この事件だけは特別」というのはあり得ない。「この事件だけは特別」なのは被害者や遺族、そして加害者やその家族のみで、我々はあくまでも事件そのもに対しては第三者だ。一方、刑事司法とメディアが適切に機能しているかを監視するという意味では我々は当事者である。弁護団が戦っている相手は(あえて戦うという言葉を使う)、被害者や遺族ではなく、検察や裁判所という権力装置である。双方が拮抗してこそ初めて法の適正手続は担保される。

我々や家族や恋人や仲間や子孫は被害者にもなりうるし、加害者にもなりうる、そしてえん罪の被害者にもなりうる。そのどの立場にあったとしても、国家という暴力装置がどう機能すべきかを考える必要がある。

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番組プロデューサーより~
ご意見、ご感想、ありがとうございました。一生懸命に作った番組を、しっかり受け止めていただけたことを感謝します。取材をし、番組を作り、放送したのは、誰かを陥れたり、傷つけたりするためではなく、よりよい社会を作っていくために、多様なものの見方を提示することが必要だと思ったからです。「情報過多」も問題ですが、「予断」や「偏見」は、「情報過疎」から生まれるものです。その意味で、私たちは、感情的になってしまった世論の中でも、非難を恐れず、メディアとしての役割を果たしたいと思ったわけです。
うれしい感想から厳しいご指摘、伝えたいことが伝わった喜びから、届かない寂しさまで、皆さんからの一つ一つのメールを、私たちは、隣人から送られたものとして受け止めました。番組制作者として、いま、様々な思いでいます。
メールを殊のほかたくさんいただきました。遅ればせですが、掲載したいと思います。文章は一切触らず、載せますので誤字脱字は、ご容赦ください。
番組を観た隣人が、どんな感想を持つのかを知っていただければと思います。
なお、東海テレビエリア外から放送を希望するメールを頂きました。広く観ていただくため、この番組をフジテレビ系列『FNSドキュメンタリー大賞』に出品します。7月以降になると思いますが、放送日時は各地区の放送局によって、まちまちですので、ご注意ください。

----- プレスリリース 2008年7月4日 -----
『日本民間放送連盟賞』中部・北陸地区審査会
報道部門
光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~
教養部門
黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~
~2部門で1位を獲得するのは 14 年ぶり!~
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東海テレビが制作したドキュメンタリー番組「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」と「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」が、日本民間放送連盟賞中部・北陸地区審査会の報道部門と教養部門で、最も優れた番組に選ばれました。この結果を受け、両番組は 8 月に行われる中央審査会へ出品されることになります。東海テレビ制作のドキュメンタリーは、2年連続で報道部門の1位を獲得。また、東海テレビが2部門で1位を獲得するのは 14 年ぶり。 日本民間放送連盟賞中部・北陸地区審査会は、7月3・4日に名古屋市で開催され、報道・教養・エンターテインメントの 3 部門で審査が行われました。東海テレビ制作のドキュメンタリーで、今年 5 月に放送した「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」は、報道部門 13 作品の中から、2 月に放送した「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」は教養部門 16 作品の中から、ともに第1位に選ばれました。審査員からは「被害者遺族側からの報道が大半を占めた中で新たな視点を投げかけた」(光と影)「事件の裏側に潜む日本の村社会を見事に描いている」(黒と白)と高い評価をうけ、両番組とも満点を獲得しました。今回1位を獲得したことについて、両番組の制作を担当した阿武野勝彦プロデューサーと齊藤潤一ディレクターは、「力のあるスタッフに支えられていい仕事ができました。今回の1位で 2 つの番組が多くの人たちに見てもらえればうれしいですね。」(阿武野)、「裁判員制度を前に疑問に思ったことを番組にしました。それが評価されてうれしいです。」(齊藤)とコメントしています。
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「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」は、1999年4月、山口県光市で起きた母子殺害事件の弁護団に密着。被告(事件当時 18 歳)の無反省な態度、凶悪ぶりがアピールされ、厳罰化を求める風潮の中、「遺族」と「弁護団」が直接対立するかのように扱うマスコミ報道が過熱。その一方で、あえてマスコミをシャットアウトしてきた弁護団の内部にカメラを入れ、刑事裁判に取り組む弁護士を追いながら、この国の司法のあり方を問う内容で、今年 5 月 30 日に放送されました。 「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」は、1961 年三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」の犯人として逮捕された奥西勝の、妻と愛人との三角関係清算のため、ぶどう酒に農薬を混入させたという当時の自白とその矛盾点に焦点を絞り、長きに渡る裁判を通して、「自白」の抱える問題に鋭く迫った番組で、今年2月23日に放送されました。
なお、昨年の日本民間放送連盟賞・中部北陸地区審査会では、報道部門で東海テレビ制作のドキュメンタリー「約束~日本一のダムが奪うもの~」が1位を獲得し、2007年日本民間放送連盟賞の優秀賞を受賞しています。
<「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」作品の内容>
1999年4月14日、山口県光市で本村洋さんの妻と生後11ヶ月の長女が殺害された。当時18歳だった少年が逮捕され、一審二審の判決は、無期懲役。しかし、最高裁は、死刑含みで、審理を広島高裁に差し戻した。「光市母子殺害事件」。最高裁の途中段階から、弁護団は、差し変わった。それは、起訴事実を争わず、ひたすら情状を主張してきた旧弁護団には、「死刑含み」の状況に危機感を感じたためである。そこで、21人の弁護士が集い、この事件を再調査することになる。そこで、弁護団が見たものは、流布された凶悪な被告ではなく、精神年齢の低い青年像だった。そして、被告は、殺意はなく、強姦目的でもなかったと、新しい弁護団に告白する。しかし、感情的な空気の中で、世論は「荒唐無稽な供述を始めた」「死刑が恐くなって事実を翻した」と被告を非難、更に、弁護団にまで、鬼畜、悪魔とバッシングの嵐が吹き荒れる事態となった。東海テレビでは、こうした中で、刑事事件の弁護活動とは、どうあるべきか、弁護士とは、どういう職責を持つものなのかを、多様な視点から、冷静に見ることが必要であるとの考えから、弁護団会議などにカメラを入れ、取材を重ねてきた。果たして、この番組から、何が見えてくるか…。

<放 送 日 時> 2008 年 5 月 30 日(金)午後 2:35~3:30
<ナ レ ー シ ョ ン> 寺島しのぶ
<声 の出 演> 天野鎮雄、間瀬礼章
<プロデューサー> 阿武野勝彦
<ディレクター> 齊藤潤一
<撮 影> 岩井彰彦 村田敦崇
<編 集> 山本哲二
<効 果> 森哲弘(東海サウンド)

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<「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」作品の内容>
47年前、三重県名張市葛尾で集団毒殺事件があった。そして、犯人として逮捕されたのは、奥西勝 当時35歳。動機は、妻と愛人との三角関係の清算で、公民館で開かれた地域の懇親会の折、ぶどう酒に農薬を混入させたと自白した。
しかし、この自白には、不審な闇がある。奥西の自白後に、村人の証言がつぎつぎと変わる。そこには、捜査機関の誘導がある。また、判決は、一審では、自白の信用性が低く、物的証拠が乏しいと無罪が言い渡され、二審以降、死刑という戦後の裁判では、白から黒への変更は、この一件だけである。7回にわたる再審請求が繰り返されてきたが、弁護団は、自白が強要されたことを立証すべく、科学的な立証を試みてきた。そして、ぶどう酒の金属製のふたの歯形鑑定の不当性、そして、凶器となった農薬の分析で、いずれも、物証として証明力が乏しいことを提起してきた。しかし、裁判所の再審の扉は開かない。番組では、裁判官にとって「自白」とはなにか。捜査機関にとっては、なにかを解き明かしていく。そして、自白偏重の裁判所の現状について考察していく。去年は、鹿児島志布志事件、富山氷見事件と自白強要の冤罪事件が続発した。今も続く日本の司法の問題を考えた。
<放 送 日 時> 平成 20 年 2 月 23 日(土)午後2:00~2:55
<ナ レ ー シ ョ ン> 原田美枝子
<プロデューサー> 阿武野勝彦(東海テレビ)
<ディレクター> 齊藤潤一(東海テレビ)
<撮 影> 坂井洋紀(東海テレビプロダクション)
<編 集> 奥田繁 (エキスプレス)
<効 果> 森哲弘(東海サウンド)
<音 声> 米野真碁(東海テレビプロダクション)
<T K> 須田麻記子

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2008-09-10

■自民党総裁選は右翼について考える良いチャンス


(2008/09/12-14時46分 一部補筆修正)
自民党とその支持層がいわゆる右翼だということを(言葉の響きに抵抗を感じる人はいるかもしれないが)否定する人はあまりいないだろう。

では右翼とは何か?
自民党総裁選の顔ぶれをみても、いちおうそれぞれの政治思想にそれなりの違いがあるようにみえる。

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右翼とは、保守主義、新保守主義、新自由主義を支持する立場である。
ところが、保守主義、新保守主義、新自由主義はそれぞれ違い、互いに相反する要素もある。

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保守主義(伝統的保守主義)とは、一番わかりやすくいえば、「はじめ人間ギャートルズ」や「大草原の小さな家」的な社会システムを是とする価値観である。国家に代表される共同体の上部構造、統治権力といったものの干渉から自由で、強く優しい父が家族を守り、固い絆で結ばれた共同体が仲間を守る。

アメリカの伝統的保守はさらに復古主義的・教条的な伝統主義と、統治や統制から自由であることを重視するリバタリアズムの二系統にわかれる。

内部の底流に流れるものは帰属と保護。
家族・共同体、そして慣習というルールへの帰属を厳しく縛るが、同時に、その成員を手厚く保護する。

イタリア南部のマフィア、日本の任侠界・各界・武家社会、アメリカのネイティブ・アメリカンや開拓時代の白人社会、ヨーロッパのカトリック教会、儒教思想の影響の強かった革命以前の中国や朝鮮半島の地縁・血縁集団、華僑社会、アフガニスタンやイラクの部族社会などに特徴的(ついで言えばゴリラの群れも)。

例えば、やくざが刑務所に入っている間、その家族を養ったり、あるいは仁義を守らなかったら指を詰める。国家の法体系に超越するガバナンス、相互扶助、内部的ルール、ペナルティーなどがある。

基本的に温情主義的で、強いものが弱いものを守る。賢いものが愚かなものを導く。

内部統制を維持するエンジンは、誇り・正義・仁義・神との契約・常識といった個人の信条。

嫌戦的・平和主義である。自分の側にも大きな損害をもたらすリスクのある全面戦争を避け、たいがいの場合、年長者による話し合いで「手打ち」をしたり、金や指で「落とし前」をつける。

外部からの干渉を嫌うが、同時に自分たちに属さない立場に不干渉。やくざは「かたぎ」に手出しすることは御法度で、マフィアは自分たちを「コーザ・ノストラ(=自分たちのこと)」と名乗り、外部に対する徹底した秘密主義をとった。

外部との関係性においては、やくざもマフィアも地域の治安維持や紛争仲介役を担うことで一定の役割と居場所を持っていて、それが経済的資源ともなっていた。

個人よりも家族や共同体が優先される。家族や共同体が崩壊してしまえば、個人の居場所もないから。

個人的なカリスマやアイコンよりも、伝統・文化・慣習を優先する。50年そこそこの個人の人生経験から導き出されるものよりも、先祖の代から何度も試行錯誤や取捨選択を経て洗練されてきたものの方が信頼できるから。

革命( re-volution)や急激な変革(trans-formation)は嫌うが、必要があれば、試行錯誤的変革、改革(re-formation)を容認する。

例えば資本主義政権からいきなり共産主義政権に変わることは(trans-formation)だが、アメリカで共和党から民主党に政権交代することなどは社会システムそのものの大転換を意味しないので、(re-formation)となる。

つまりどういう変化を否定するかということではなく、どういう段階を経て変化するかということが重要で、伝統的保守主義者は連続性のある変化を好む。実際、18世紀にチェーザレ・ベッカリーアが拷問と死刑に対する反対論を記して以来、段階的にそれが実現されている課程は伝統的保守主義的であるともいえる(参考:スターリン、反革命分子、人民の敵、粛正)。


イタリアのマフィアも日本のやくざも、ボス同士の権力抗争や、社会の中での一定の役割や居場所を失い、経済的自立が困難になる中で、非情で利己的な単なる暴力的犯罪集団に変遷していったことは象徴的。

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新保守主義(ネオコン、neoconservatism)はブッシュ政権前期の政策ブレーンたちの価値観に代表される。
新保守主義と、伝統的保守主義との一番の大きな違いは、外部、他に対する関係性にある。

伝統的保守主義が内向きで外部に対して基本的に不干渉主義であるのに対して、新保守主義は外部に対して徹底的に干渉し、自分たちの価値観を共有させようとする。外部に自分たちと違う価値観を持つものがいるこことが居心地が悪いので、それを力づくでも自分たちの価値観にあわせさせようとする。なぜなら自分たちの価値観こそ「正しく」「善い」のだから、それを外部にも広めれば、結果的にすべてが「正しく」「善い」方向に向かう。

伝統的保守主義は「切腹」、「自決」に象徴される自己決定を尊ぶのに対して、新保守主義は感情的な場の空気を重視する(同調圧力・自決を迫る)。また、内部的結束を高めるために仮想敵をつくって攻撃する。

伝統的保守主義者は相互扶助のために結束するが、新保守主義者は敵と戦うために結束する。

伝統的保守主義が急激な改革を嫌うのに対して、新保守主義は戦争による国家転覆も辞さないほど急進的である(例 イラク戦争 アフガン戦争)。

そのために警察や軍事力の増強や教育行政への徹底的介入を容認する。

結果として治安維持、軍事や教育に莫大な国家予算が必要になる。この点でも国家の権力や予算が大きくなることを嫌う伝統的保守主義と相反する。

旧ソ連や文化大革命時代の中国共産党政権、あるいは現在の北朝鮮金正日政権に、手法や性格的側面が非情によく似ている。違いは何が「正しく」「善い」ことかという点。

数学的合理性や伝統的経験則にもとづく判断よりも、個人の情緒的直感に起因するものに後から理論武装する側面が多々あるため、現実的知識の集積のない場での議論はナイーブなものや見当違いなノスタルジーに脱しやすい。

他を嘲笑したり、蔑んだりすることを好むが、バカにされると、なりふり構わず激怒する。

「美しい国ニッポン」の安部晋三や「いいですか、みなさん」のみのもんたが典型。

北朝鮮金正日政権との大きな違いは国家のぎりぎりの存亡をかけた徹底的現実主義と経験の有無。

「昔は良かった」的な保守思想を具現化するためにドラスティックな方法を求める(断固決然)。

伝統的保守主義が共同体内の貧困者や障害者などの弱者や、前科者、破産者などの失敗者に対して懐広く抱え込み一定の責任を果たしてきたのに対し(なぜならいつ身内からそういうものがでるとは限らないから)、新保守主義は、「異物」「異質な者」「不届き者」「犯罪者」などとレッテル張りすることで、社会から分断し、外部に追いやる(分断操作)。

犯罪に対して伝統的保守主義が、自分たちの中から犯罪者を出したことに対して、一定の責任を感じる(自分たちの身内から加害者も被害者も出しうる)のに対し、新保守主義は、「どんな環境でも犯罪を犯さない人間もいるのだから、すべてが犯罪者個人の責任で厳罰に処すべき」と考える。身内は常に被害者になりうるが、犯罪を犯した時点で、もはや身内ではないので、犯罪者は身内ではない。

新保守主義者はカリスマやアイコンが好きである。

新保守主義者には元革命マルクス主義の理論家が多い。

新保守主義者のメンタリティーや問題解決法も革命マルクス主義者に酷似している。


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新自由主義は80年代のイギリスのサッチャーやアメリカのレーガンの政策に代表される。日本では2000年代の小泉=竹中=世耕=経団連の経済政策に代表される価値。

新自由主義は、社会のある状況や段階における経済政策の一手段ともいえるが、そうした思想を恒常的にもつ人と、その方が今の自分にとって有利だと考えている人たちとで分ける必要がある。後者の場合、自分がそれによって不利になる立場に転落した場合、アンチ新自由主義者になることは明白である。

政策的手法と考えた場合、ある状況や段階で、例えば、伝統的保守主義の為政者や中国共産党が、新自由主義的政策をとることは十分あり得る。

中国の鄧小平による「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」的な経済開放政策などは典型。


新保守主義者の経済政策面でのパートナーとも言える新自由主義者。

新自由主義者からみれば新保守主義者は一種の動員のツールといえるが、概して新自由主義者が資本家、企業経営者中心であるのに対し、新保守主義者は中産階級以下の共同体から孤立した個人や、元共産主義理論エリート、経済的には現在の生活に特に不満を持っていないが伝統的な共同体には属していない主婦層、高齢者層に多い。旧来の共同体的なものが崩壊してしまったため、その代替的役割を国家に要求したいという考え方に基づく(共同体の縛りがなくなったので、国家に縛ってほしい)。伝統的共同体の縛りを失って「不安」になった層(三丁目の夕日)。

ただし新自由主義は根底思想が資本万能主義的であるため、それが露骨に表面化してしまうと、ライブドアの件のように「額に汗しない」という抽象論で新保守主義者から反発を買う。もっとも「額に汗しない」と怒っていたのはブルカラーではなく、ほとんどが既得権に浴したホワイトカラーであった。


中心思想は自由放任開放経済による「トリクルダウン」。
「揺りかごから墓場まで」という高福祉国家が肥大化して、財政的にたち行かなくなった状態を打破するために出てきた考え方。ちなみに伝統的保守主義は、国家ではなく地縁、血縁や宗教、企業、ヤクザの契りなどで結びついた共同体が「揺りかごから墓場まで」面倒をみる考え方。

トリクルダウンとは、「こぼれ落ちる」という意味で、緊縮財政で福祉を削っても、減税や規制撤廃によって力がある資本家や企業が最大限の力を発揮して収益を上げれば、その果実からこぼれ落ちたものが貧しい者や弱い者たちにも行き渡るという考え方。つまり国家が徴税して富を再配分しなくても(これにはコストがかかる)、金持ちがお金を使ったり、従業員を雇って給与を払うことによって「神の見えない手」が勝手に再配分を行う(コストがかからない)という考え方である。そのためにはあらゆる手段を使って優秀な企業(excellent company)の成長を手助けし、無能な企業を潰すことが国家の役割となる。

ただし、80年代にこれを取り入れたアメリカにおいてもイギリスにおいても、「トリクルダウン」は起こらなかった。収益をあげたものはさらにそれを投資に振り向け、グローバル化によってその投資は国外に流れ、一般庶民に「こぼれ落ちる」ことはなく、金持はより金持ちになり、貧乏人はより貧乏になり、階級が固定化し、いわゆる「アメリカンドリーム」はほとんど起こらなくなった。

金持ちの子供だけが質の高い教育を受け、貧乏家庭の子供は最初から劣悪な教育機会しか与えられなくなった。貧困層は意欲を失い社会に閉塞感が蔓延する。ハイスクールでもてるのは、イケメン、スポーツ万能、成績優秀、育ちがいいとすべてを持ってるスパーヒーローだけ。10代の妊娠や覚醒剤中毒、性病やエイズ感染が蔓延する。

社会の階級が固定化するのにともなって、経済的安定をもてる職業には世襲が蔓延した。医者、弁護士、企業経営者、政治家。

相続税には、伝統的保守主義者も新自由主義者も反対である。しかし理由が異なる。
伝統的保守主義者は国家をそこまで信用しないので、自分たちの残した財産は(金融資産だけではなく、歴史や伝統、知恵といった相続財産=ヘリテージを含む)は自分たちで後生のために使うべきと考えるから。実際欧米などでは寄付に対する免税措置があるので、自分が遺した財産を国に再分配させるか、NGO、NPOなどに寄付して役立てるかの選択肢がある。

新自由主義者は、自分たちはすでに所得税や固定資産税、消費税などで納税義務を果たしているのだから死ぬことに課税するのはおかしい。自分たちが稼いだ(あるい相続した)金をどう使うかは自分たちの自由だと考える。そして多くの場合は自分の財産を多くの人のために役立ててほしいと考えず、自分の子供に遺したいと考える。子供は金持ちの家に生まれたのも実力だから、相続するのは当然の権利だと思う。

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「自己責任」という言葉を新自由主義者も多く用いるが三者でニュアンスが少しずつ違う。

伝統的保守主義者は、自分たちの自由と独立を確保するために自分や自分の仲間がやったことには最後まで自分たちで責任をとろうという立場。せっぱ詰まったからと言って、国に助けを求めて自分たちの自由や独立を失うべきではない。

新保守主義者は、世の中無責任で、権利ばかり主張する奴が多いのでもっと責任と義務を自覚させるべきだと考える。そのためには国家による規制や厳罰、社会的制裁が必要だ。

新自由主義者は、リスク管理上の責任の範囲を明確にするためにこの言葉を使う。保険などのオウンリスクなどが典型。我々の責任の及ぶのはここまでで、それ以外は自己責任です。つまりわたしの責任ではなく、あなたの責任だという意味で用いる。企業や行政が使う自己責任はほとんどがこの意味である。

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「男女平等」を伝統的保守主義者は否定する。男女には肉体的特性に即した共同体における伝統的役割分担があると考えているからだ。

新保守主義者や新自由主義者は「男女平等」に賛成である。一番大きな理由は女性にも新保守主義者や新自由主義者が多いからである。

新保守主義者は男女は差別しないが、出自や考え方の違う人間を差別する。レッテルを貼りやすいし、交わらずに生きていくことが比較的可能だからである。

新自由主義者は無能な男より有能な女性の方が金儲けの役に立つことを知っているから。

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途中から、だんだん説明はしょって、断定することが多くなってきた、WIKIPEDIAじゃないからいいか。面倒くさいし…

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さて、今回の自民党総裁候補は、それぞれどういう立場により近いか。
自民党の派閥は政策派閥ではなく、権力上の利権派閥なので、参考にならない。

  • 石原伸晃元政調会長(51)
  • ***伝統的保守主義者に近い新自由主義者

(おそらく)親や叔父のコネで日本テレビに入社した。テレビ番組で政治家の世襲を批判していた。自分は選挙区が違うから世襲ではないとも。
政治家が政治家の親から継承する資産は選挙区だけじゃないでしょ。

  • 小池百合子元防衛相(56)
  • ***新保守主義者に近い新自由主義者

候補者の中で一番権力欲の強い人。自分のキャリアアップのために今自分がどこにいればいいかを常に考えている。だから党内にも敵が多い。とにかくいつかは総理大臣になりたいという気持ちはぷんぷん漂うが、いったいどんな政策をしたいのかは全く見えない。メディアでは小泉路線継承者と言われるが、それは小泉政権が大人気だったからで、状況が変われば真っ先に変わるのがこの人だろう。「小沢さんの時計は止まっている」というのは彼女らしい発言。「マダム・寿司」

  • 麻生太郎幹事長(67 )
  • ***新自由主義者に近い新保守主義者
  • 発言はかなり新保守主義的、煽動的

生まれた瞬間から富も名声も約束されていた人。社会のほんの一面しか見ないままおじいさんになってしまった人。だから、弱者やマイノリティに対する思いやりが致命的に欠落している。戦争の悲惨さの実体験はなく、軍国少年として負けたことに対するルサンチマンだけが強い。アメリカに対するコンプレックスと憧れ(気分はアンビバレント)。中国や朝鮮半島に対するすり込まれた優越感と嫌悪感(あいつらだけには負けたくない)。これは石原慎太郎と共通する欠点。野中部落差別発言やアルツハイマー発言は、まったく悪意なく出てきたのだろう。身内に優しく、身内以外に苛烈で冷淡。育ちがいいので乗りがいい。柔軟性もある。社交的で人に好かれるタイプだ。でも具体的にこの人いったいなにができるの?これまで何か実績になるような仕事したことあるの?

  • 石破茂前防衛相(51)
  • ***新保守主義者に近い伝統的保守主義者

戦前の青年将校を彷彿せるような悲壮感漂う思いこみの強さがある。逆に柔軟性に欠ける。
銀行員出身だが経済政策に強いとは思えない。

  • 与謝野馨経済財政担当相(70)
  • ***新自由主義者に近い伝統的保守主義者

波瀾万丈で修羅場も何回もくぐり抜けているということや、実務的な実績も多く残していることから、単純に実力だけの評価をするならこの人がダントツだろう。ただ、カリスマがない。選挙地盤が弱い。歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫。日本原子力発電出身。中曽根康弘・渡邉恒雄人脈。


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政策とキャラを並べるとおもしろい。キャラが大事か、政策が大事か。

外向的には全員対米一国追従主義の継承で多国間主義(マルチラテラリズム)に消極的。これは自民党の宿命とも言える。イギリスが没落したように、アメリカにも黄昏の日が来るという想像力がない。思考停止。


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いつの時代にも右翼も左翼も必要だという考え方がある。
社会は常に振り子のように揺れ、放っておくと極端に触れ、その反動で、また逆に極端に触れてしまいかねないので、それをバランスさせてちょうどいいところに落ち着かせるために対立する勢力が必要だから。

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自民党支持者には上記のいづれにもとくに当てはまらないが、政権与党だから支持するという層、自分の既得権益に有利だから支持するという場合もある。

政権与党だから支持するという考え方は、結局野党は批判だけで、実際に政策を実行しているのは与党。実際にことにあたっている人を外野から批判するのはけしからんという考え方であると同時に、よらば大樹、多数派についているのが一番という考え方もある。
そうして日本はいけいけどんどんで太平洋戦争に突入し、原爆や大空襲や沖縄地上戦でいけいけどんどんした人もしなかった人も大勢殺された。

いけいけどんどんで国家の赤字は800兆円になった。これの返済義務を負っているのは我々やその子孫たちである。もっとも減税で余ったお金で国際たんまり買い込んでるお金持ちは利息付きで「行って帰ってこい!」だ。国家のコスト削減ができていないのに減税をしたのだから、足りない分は借金をした。借金は減税した人たちがお金が余っているらしいので借りることにした。だけどアメリカが潰れそうなので、アメリカの国債はたくさん買いました。おとなりの中国もアメリカが潰れたらお得意先がなくなってしまうので一生懸命アメリカの国債を買っています。日本が世界一で、中国が二番目です。

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保守主義がもっとも理想的に機能しているような光景が「大草原の小さな家」、一方、リベラル、社民主義がもっともうまくいっているように見える光景が「3年B組」だというとわかりやすいか。もっとも日本の民主党はリベラルではないし、社民党も社民主義とは言い難い。

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ちなみに共産主義は保守とリベラルの対立軸の外にある。保守主義層は、無知から、あるいは時に意図的に、リベラルと共産主義を同一化して、エンガチョしたり、議論のテーブルから排除したりすることがよくある。そもそも「資本論」なんて読んだことがない人間がほとんど。本来の意味での共産主義は社会の近代化の過程で、資本主義→社会主義→共産主義に移行すべきという考え方。したがって、近代化が十分に進んで、社会資本が十分に行き渡った状態でなくては本来の共産主義は成立しない。極論すれば、現代において共産主義国家と名乗る国は近代化と社会資本の充実という課程をはしょっているので、共産主義を理想と掲げているだけで共産主義を実現しているわけではなく、単なる国営国家に過ぎない。また現代の中国は、世界最大の銀行を有することからもわかるように、ばりばりの資本主義国家である。

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ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞にあるような無神論、私有財産の否定、無政府主義などのラジカルなリベラリズムは、入り口や思想は異なっても、結果としての出口は伝統的保守主義にかなり近い。

例えば、私有財産を否定したとき、その所有権を統治権力が簒奪(さんだつ)せず、民主主義的な方法で留保されるのであれば、「誰のものでもない」と「必要ならばすべて自分のものである」とはほぼ同義になる。また神から自由になれば、自己決定が可能になる。これはアメリカの伝統的保守主義者が理想とする開拓時代のアメリカの建国意志に近い。

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個人的な分類

伝統的保守主義者***吉田茂、頭山満、北野武、浜田幸一、小室直樹、宮台真司、田中康夫、△宮崎哲弥、ジョン・マケイン、クリント・イーストウッド、チャールトン・ヘストン、コリン・パウエル

新保守主義者***安倍晋三、みのもんた、やしきたかじん、櫻井よしこ、勝谷誠彦、三宅久之、渡辺恒夫、橋下徹、中田宏、辛坊治郎、ポール・ウォルフォウィッツ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー

新自由主義者***小泉純一郎、竹中平蔵、村上世彰、堀江貴文、奥田碩、宮内義彦、御手洗冨士夫、奥谷禮子、マーガレット・サッチャー

※新自由主義的政策をとった伝統的保守主義者***中曽根康弘、ロナルド・レーガン


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